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映蔵
横浜で活動する記録・広報映像制作会社日映科学映画製作所の作品紹介や、社の周り・横浜情報の発信など。
大震災の史跡を訪ねて。
関東大震災90周年の記念展が横浜の3か所で開催されているというのは、すでにこのブログでもご紹介の通り。
今日は、横浜の街中にひっそりと残る、大震災の史跡を訪ねてみよう。

大震災での横浜の被害は、地震そのものによる建物の倒壊に輪をかけて、火災の猛威が被害を大きくした。
都市発展記念館のチラシは被害にあった横浜駅の写真が使われているが、実は、これは現在の横浜駅ではない。

横浜駅は3度場所を変えていて、最初に出来たのが明治5年、鉄道開通とともに生まれた。
これは現在の桜木町に当たる。

大正4年、現在の市営地下鉄高島町駅近くに2代目横浜駅が造られる。
初代横浜駅が、東海道線のルートから外れてしまったのが理由だろうか。

この2代目横浜駅。
赤レンガ造りの、結構立派な駅舎だったらしい。
しかし、わずか8年後、関東大震災により発生した火災により焼失。
仮駅舎が造られたものの、5年後には駅そのものが現在の場所に移転することになる。



これが2代目横浜駅の痕跡だ。

地下鉄の、というより、これまた廃駅になった東横線旧高島町駅のすぐ隣、といった方がわたしなんかにはしっくりくる。

マンション建設の際に出土したんだろう。整備されていて、誰もが見学することが出来る。

DSC04990.jpg
銘板をアップで。


3度も場所を変えた横浜駅。
2代目の命運が尽きたのは、必ずしも大震災のせいではない。

けれど、これまた失われた私鉄の駅とともに、高島町の街中で大震災の記憶を伝えている史跡。

どこかに行く際に通るようなところじゃないが、何かの折にでも、気が向いたらでも、ここに横浜駅があったのか、と見に来てほしい。

街の歴史は、ほんと、意外な片隅にひっそりと息づいている。

DSC04993.jpg


NS
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