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映蔵
横浜で活動する記録・広報映像制作会社日映科学映画製作所の作品紹介や、社の周り・横浜情報の発信など。
Back to 1998
今、スポーツの話題はロンドンオリンピック一色。
金こそ伸び悩んでいるものの、日本勢、様々な種目で続々とメダルを獲得!
メキシコに負けたのは悔しいが、男子サッカー、韓国を破って銅メダルを頼んだぞ。

震災・不況・政治の貧困と、ニッポンこれからどうなのよ?とネガティブになりがちな折、
「どっこいニッポンはこんなもんじゃない!」と競技をしているわけでもないオジサンにもポジティブな気持ちを届けてくれる、ああ、これがスポーツ・オリンピックのチカラなんだなあ、と実感している今日この頃。

さて、時はグッーとさかのぼって1998年。
実家に戻るたびに旧自分の部屋の本棚から少しずつ本を持って帰るのだが、最近戻った際に目に留まったのがこれ。

横浜ベイスターズ38年ぶりに日本一!の記念すべき年のスポーツグラフィック誌ナンバーのバックナンバー(くどい)である。

大魔神・佐々木とキャッチャー谷繁がマウンドで歓喜のジャンプ&抱擁!
谷繁は今だ現役でプレー中なのだから、いかに息が長いかわかろうというもの。

松井秀喜の名前もある。
この年、彼はジャイアンツでプレーしていて、32打席無安打という大きなスランプもあったが、
最終的には初の本塁打・打点の2冠を獲得している。
それと同時に、その先長く彼に付きまとうひざの故障もこの年のことだった。

トゥルシエ日本代表発進、というタイトルも見える。
この年の9月20日に代表監督に就任というから、この時点ではまさになったばかり。
「発進」にふさわしい。
ここから、2002年の日韓ワールドカップへのロードが始まるわけですね。

そして14年の月日が流れた。
チーム名に企業名のつかない唯一の球団だった横浜にはゲーム会社の名が入り、
プレイヤーとしての最晩年を迎えた松井はアメリカで自由契約となり、
日本代表監督はその後、ブラジル人、日本人、ボスニア人と変遷の挙句現在はイタリア人。

14年、結構長かったなあ。
この先の14年、一体どうなりますことやら。
楽しみのような、こわいような。

わたしの、あなたの、日本の、そして世界の14年。
少しでも、少しでもハッピーでありますように。

number
日本シリーズ第一戦、雨で流れた後の再戦、見に行ったんだよなあ。


NS
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