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映蔵
横浜で活動する記録・広報映像制作会社日映科学映画製作所の作品紹介や、社の周り・横浜情報の発信など。
NHKドキュメンタリードラマ雲仙・普賢岳に感動!
 20年前の6月3日、長崎県の雲仙・普賢岳の火砕流で43人が亡くなった。あの災害
からちょうど20年、それを踏まえて土曜の夜9時からNHKでドキュメンタリードラマ
を放送していた。

 この番組はNHKが取材した当時の膨大な映像に、再現ドラマを組み合わせて、避難勧
告が出されてから大火砕流が起きるまでの8日間のドラマになっていた。その出来はすば
らしく、現実の映像とドラマの区別がつかないぐらいで、まるですべてがドキュメンタリー
かと思うほどのリアリティを持っていた。時々、当時を回想する教授や警官、住民のイン
タビューが挿入されている。

 ドラマを進める主な主人公は、避難勧告を発令した島原市長と、火砕流で亡くなった外
国人火山学者夫妻である。

 大火砕流が起こる8日前、島原市長は地元、九州大の島原地震火山観測所の所長と相
談して独自の判断で(*注1)住民に対して3日間限定で避難勧告を出すことにした。が、
その3日を過ぎても災害は起こらず、家に戻りたいと願う住民と、危険だから勧告を継続
すべきだと主張する所長との間に板挟みになっていた。市民の命と暮らしを自然災害から
どう守るか苦悩する市長の姿が描かれている。一方、外国人火山学者夫妻は、世界の人々
に火山の危険を知らせるための防災ビデオを制作するため取材に来るのだった。

 結局、市長が避難勧告を発令してから8日目、未曾有の大火砕流が起き、消防団や警官、
危険区域内で取材していた外国人火山学者夫妻とNHKを含めた報道陣などが巻き込まれ
て43人が死亡した(*注2)。 しかし、市長の判断で避難させていた住民は被災を免れ
て助かることができたのだ(*注3)。

 ちょうど現在、東日本大震災で被災者が避難所生活で苦労している姿をテレビで毎日見
ているため、一市長の決断の勇気と、トップにたつ者のリーダーシップのあり方を考えさ
せられるものだった。

 ただし、ひとつだけ不満がある。

 クライマックスで、逃げる外国人研究者夫妻の背後から火砕流が追いかけてきて飲まれ
る瞬間を合成を駆使して描いて見せていたけれど、あれは必要なかったんじゃないだろう
か。それまでのドラマにリアリティーがあったために、あの瞬間だけは作り物のパニック
映画を観るような感じで、それまでのドラマに感銘していた私は気持ちが一気に冷めてし
まったのだ。何も、視聴者は火砕流に飲まれる瞬間なんて見たいとは思ってないし、あの
演出では、命を懸けて人々のためを思って取材していた研究者に対して、まるで避難勧告
を無視したために罰が当たったような受け止め方をされないだろうか。確かに避難勧告を
無視したのは悪いが、火砕流の噴煙が大きくなってF.O(画面が暗くなって終わる)だ
けでいいと思う。あの場面は絶対必要ないと私は思う。
 

 さて、なぜ私がここまで雲仙・普賢岳に対して熱くなっているかというと、

 実は、私も仕事で現地へ行ったことがあるからだ。私が行ったのは大火砕流のあった4ケ
月後だったが、復興事業の紹介ビデオを作るために1週間滞在し、実際に立入禁止区域に入っ
て被災地や復興工事を撮影した(セスナに乗って普賢岳の溶岩ドームを上空からも撮影した)。
当時の被災地の様子は、津波で破壊された東日本大震災の瓦礫の被災地とはまったく逆で、
見渡す限り植物も建物も見えず、辺り一帯、灰色の荒涼とした砂漠と化していた。気が付く
と目線より下に屋根が現れていて(下の写真)、作業員から、これは民家で、しかも2階の
屋根だということを聞かされて鳥肌が立ったのを今でもはっきり覚えている。

unzen2.jpg
 見えている屋根は2階の屋根で、1階建ての家はすべて地面の下に埋まっているそうだ。
(写真は1991年11月撮影)


 さて、ドキュメンタリーの後半に実際に避難勧告を出した市長が、当時を振り返ってこう
語っている…


 「私は、自分の人生が終わるまで、もう、自分の命であって自分の命じゃないと、
  犠牲者の皆さんに身柄を差し上げて、そして復興していかないといかんと…。(そう、思います)」


 今、この言葉を、ごたこだしている民主党に、そして菅総理に突きつけたい気持ちでいっ
 ぱいだ!


  NHKドキュメンタリードラマ「1991 雲仙・普賢岳~避難勧告を継続せよ~」
  6月4日(土)21時30分に放送。
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(*注1)当時、避難勧告を発令する権限は市区町村長にあって、国にはなかったようだ。
(*注2)当時は避難地域への取材規定は厳しくなく、スクープ映像を撮りたいがために避難
    勧告を無視して取材することは案外多かった。これを切っ掛けに災害報道のあり方
    が検討され、現在では東日本大震災の報道を観るように、NHK撮影の福島原子力発
    電所の映像では『30km以上離れた位置で撮影しています』などのテロップが入れら
    れている。
(*注3)当初、5/26の避難勧告では5つの地域の住民に出されていたが、災害が起こらない
    ために、数日後、3つの地域が解除された。実際、火砕流が到達した場所は、解除
    された地区のラインぎりぎり50m手前までだったそうだ。まさに奇跡的な判断だっ
    たといえる。

きしょう
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