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映蔵
横浜で活動する記録・広報映像制作会社日映科学映画製作所の作品紹介や、社の周り・横浜情報の発信など。
再会、千葉駅にて。
JR千葉駅で、懐かしい顔に出会った。

時刻表を探して振り返ったとき、一瞬、その横顔がオレの視界をよぎった。
それで十分だった。
アイツだ、間違えるわけがないじゃないか。

10年ぶり?
それとも他のところでも会っていたのか。

そんなことはどうでもいい。
オレは何も言わず、ブリーフケースの中からHX5Vを取り出し、パワーボタンを軽く押した。

グリーンのLEDがオレの心に小さな灯りを点した…



ハイ、勝手な妄想は放っておくとして、

10年ちょっと前までは、スカ線の顔だった113系。
千葉駅で出会ったそいつは、今じゃ外房線のスターだった。

スカ線も今じゃ、何とか仮面みたいな銀色のヤツばっかりで、しかもドア4枚、中はロングシート、
乗ったら山手や京浜東北と何ら変わらない。

長距離列車、を思わせるクロスシートが旅情を誘う113系。
でもこれ、ラッシュ時には厄介きわまりない代物。

窓際なんかに座ったら下りるのは面倒だし、通路が狭いので立っていても窮屈。
効率を考えたらロングシートも止む無しか…



久里浜行きがホームに入るまでの5分間、
写真を撮って、思い出にふけって、これはこれで思いも寄らぬ出会いではあった。


NS


113系
どこか寂しげな横顔…




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『黎明』   昭和42年作品
           reimei+縺ョ繧ウ繝斐・_convert_20100927160050  企画 東京電力株式会社

前回紹介した『テレビジョン』ほど身近でない題材だが、国内初の原子力発電所のPR映画を紹介しようと、
例によってかび臭い倉庫の中を探る。
段ボールの中から、比較的出し易いパンフレットを引っ張り出し、
本編の再生をしようと社内スタジオに入った。
再生と同時に空撮の場面、そして音楽はピアノソロである。
やっぱり完成台本、カット割台本など他の資料にも目を通したくなる。

完成台本によると、空撮は大都会東京の昼と夜、福島の建設予定地も海から撮影している。
時代を語る電力消費の代表格として、立ち並ぶ団地群、あのまるい先端の新幹線こだま号も
空からの映像でとらえている。


昭和39年から現地調査を始め、海岸の条件、地下水や地層の調査など考えられるすべての
自然状況を調査し、昭和42年4月に発電所建物の起工式に至る。

発電所の完成は昭和45年10月の予定とある。(大阪万博の年である。)

本作品のナレーションでは、
「雪の日も雨の日も休むことを知らない地味な観測と調査が新しいエネルギーの輝かしい未来に繋がる。」
とある。

倉庫から出てきた完成台本にも結びの一節には、推敲の跡が見受けられる。
完成までに、より高ぶった表現に書き換えられているのは、とても興味深いところだ。

※「黎明」は科学映像館で仮配信中。是非ご覧ください。



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わけありグルメ・中華
ちまたで流行の“わけありグルメ”。
ある理由があって、美味しいのに値段がめちゃめちゃ安いというものだ。

場所は中華街の横浜スタジアム側にある天香楼。

ここの「フカヒレ入りあんかけチャーハン」は、写真のように、あんかけチャーハンの他に、
付け合わせの小魚とザーサイ、スープと杏仁豆腐がついたセットで 525円!

どんな理由があるかというと、形が崩れて姿煮として使えなくなったフカヒレを、ほぐして
あんかけに利用したというもの。腐ってるとか味が悪いワケではない。

フカヒレといっても数本入っているだけだろうと思っていたら、以外とたっぷり入ってて驚い
た。味はちょっと薄味だったけど、これだけ食べられて525円は安すぎます。

テレ朝の番組「やじうまプラス」で紹介された時、コメンテーターの江川紹子さんが「春雨で
も入ってるんじゃないの?」って疑っていたけど、入ってません。

フカヒレあんかけチャーハン

きしょうねこ
3つ首のドラゴン、あらわる!
根岸森林公園、ごぞんじでしょうか?

(刑事コロンボの口調で)ウチのカミさんがね、横浜に30年以上住んでいるのに知らないっていうので、
え!そんなにマイナーだったの?と驚いたのはどうでもいいとして、最近、ここはマイフェイバリット・プレイスなんです。

元が日本初の競馬場だったので(知ってる?)、広大な公園内は緩やかな起伏があり、足に優しい芝生を踏みしめながら歩くのが楽しい。

体脂肪を減らすぞ、と眉間にシワ寄せて歩くもよし、とりとめもなく考え事をしながらブラブラ、あるいはフラフラ歩くのもいい。わたしは後者だが。


そんな森林公園の奥まった一角に、3つの塔を持つ廃墟、もといレトロな建物が。


実はこれ、ここが競馬場だった頃の名残り。
1930年代の競馬スタンドで、貴賓室もある建築はJ・H・モーガンによるもの。

フェンスで覆われ中には入れず、ただ外観を眺めるだけ、とは言え、保存・利用は検討されているらしい。
市の財政に余裕はなかろうが、廃墟マニアを楽しませるだけの現状は何とかして欲しい、と切に願う。

とにもかくにも、緑あふれる公園に突如現るレトロな3塔建築、このギャップ・非現実感をぜひ体験されたし。


NS



左隅に小さく写っているのがランドマークタワー

negisi02.jpg
塔部分をアップで





南極観測船といえば何?
南極観測船の名前をあげるとしたら何ですか?

私は「ふじ」ですね、「南極観測船・ふじ」。
私より上の人は「宗谷(そうや)」(注)じゃないでしょうか。


一般では「南極観測船」と呼んでますが、これは文部科学省がつけた通称です。あの船は海上自衛隊の自衛艦で、世界の氷海作業を目的として建造したことから、自衛隊では「砕氷艦(さいひょうかん)」と呼んでいます。

海上自衛隊では南極観測隊を支援するために、1年に1回、日本から交替要員や物資(食料や燃料)などを南極の昭和基地まで運んでいます。あまり知られてないけれど、南極の環境を守るために、使用済みの機械や廃材など、現地活動で出たゴミを日本に持ち帰るやくめもしているのです。

自衛隊には写真員がいて、活動の最前線を写真とビデオで記録しています。写真員が昨年度の南極支援活動をビデオで撮影して編集したものに、音楽とナレーションをつけて録音し、DVDに仕上げる作業を今年の夏に手伝いました。

残念ながらその作品を見せることは出来ませんが、20日(月)に発売されたカメラ雑誌「CAPA」10月号で写真を見ることができます。

極寒での自衛隊員の活動から、愛嬌あるペンギンや美しいオーロラ、一日中、沈まない太陽の多重露光写真など、普段、見ることのできない写真でいっぱいです。写真員の撮影裏話もあり、その苦労が伝わってきます。

写真雑誌キャパ
20日(月)に発売されたカメラ雑誌「CAPA」10月号(学研)
『ドキュメント南極』として自衛隊の写真員が撮影した貴重な写真が載っている。
6頁カラーの大特集として掲載中!

きしょうねこ

(注) 初代、砕氷艦は昭和31年から37年まで活躍した「宗谷」。2代目は「ふじ」(昭和40年~59年)、
    3代目は「しらせ」(昭和58年~平成20年)となる。現在は去年建造された「2代目しらせ」が
    運航している。







『テレビジョン』   昭和27年11月作品
会社の倉庫を整理していると、古い古い台本の中から、何と手書きの『テレビジョン』の台本が出てきた。
昭和27年の作品。薄紙に手書き文字、きっと間にカーボン紙を挟んで、同時に数枚のコピーを書く手法。
古い!!内容を確かめ、その後映像を観てみた。

昔のテレビって、そうそう、今の薄型テレビと違って画面は、丸っこく角の取れた四角形で、
もちろん白黒でチラチラしていた。テストパターンが出て、、、なんて思い出してる自分も相当古い!!

hyousi_convert_20100922113254.jpg
この作品は、テレビがまだお茶の間に普及していなかった頃に作られたもので、自主制作の科学映画である。
どうやって動く映像が、撮影され家庭に届くかと言うことを、分かりやすくイラストと囲碁の試合を例にとって説明している。

なるほどあのアナログの時代はなぜ?どうして?が大切だったのだろう。
多分、八千草薫だと思われる美しい少女の写真も実験に使われている。音楽もクラシックだ。

そして最後のナレーションは、
「こうして科学の力はいろいろな夢を実現してくれます。テレビは今に私達の生活になくてはならないものになるでしょう。」
と結ばれている。

地デジ化まであと一年を切りました。準備しなくては、、
でも地デジ化っていったいなぜどうして???

mar

※『テレビジョン』は、科学映像館で現在仮配信中。

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(2003/12/06)
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ゴーゴー!シーレックス!!
プロ野球2010年シーズンもたけなわ。
セパともに熾烈な優勝争いでファンとしてはうれしいこと。
ゲーム結果のチェックが欠かせない毎日である(個人的にパの本塁打王は是が非でもT-岡田に取ってもらいたい)。

一方、マイナーリーグもそろそろ終盤戦で、しぶとくも夏の日差しが戻ってきた土曜日、
湘南シーレックス対日本ハムファイターズのゲームを観戦に出かけた。

シーレックスのホームグラウンド・横須賀スタジアムは、京浜急行・追浜駅から海の方に歩いて20分ほど。
このスカスタ、元は追浜球場という名前で、追浜駅から実家まで歩ける地元育ちとしては、「気取ってんじゃねーよ」っていう感じなんである。

kinboshi.jpg
追浜駅の近くで。シーレックスのニックネームとも、もう少しでお別れ。



スタジアム近くのモスで腹ごなしをしていよいよ乗り込むと、「カレーゲーム」と銘打って地元・横須賀のカレー店が出店を並べていた。事前の情報収集を怠ったせいだが、ちょっと損をした気分。

Curry.jpg
インド人のおじさん、口上を述べるの図。


気を取り直してスタンドへ。
ガラガラだろう、と甘く見ていたらおお、高校野球ほどにはスタンドが埋まっているではないか。
しかも応援団までいる!
マイナーリーグくらい、静かにゲームを見させてくれ、と言いたいのだが、ま、いいか。

stand.jpg
保土ヶ谷球場、もとい神奈川新聞スタジアムも顔負けの入り(?)だぜ。


おいしいことに、バックネット裏キャッチャー真後ろのラインで、ちょうど屋根の陰になる席が空いていて、おかげでピッチャーの球筋、特に変化球のキレ具合などをじっくり堪能出来た。

シーレックス、兄貴分ベイスターズ同様、ピッチャーが…。
5回で10本もヒット打たれるようじゃ厳しい。

pitching.jpg
力投するシーレックス先発・桑原謙太朗。


ファイターズも同じような左の巧打者ばかりで、ヒットの数の割には点にならない。
今一軍にいる、中田翔のようなスケールの大きなバッターが見たかった、なんて言ったら贅沢か。


勝手知ったるこの辺り、なので、スタジアムを出て金沢文庫までぶらぶら歩く。
途中、潮風に誘われて野島の展望台まで上がってみた。

kick.jpg
野島の展望台へ向かう坂道で。毛繕いの途中なのだが、蹴りをかましているように見えたので一枚。


野球の結果?
6-3でファイターズの勝ち。

NS





「ザ・パシフィック」に出演!
一昨年、いっしょに映画を作った監督から連絡があって、今、WOWOW
で放送している「ザ・パシフィック」に、その監督の友人と、監督が
教えている演劇学校の生徒が日本兵役として出演しているそうだ。

「ザ・パシフィック」は、太平洋戦争、特にニューギニア戦線を中心に
実在の人物をもとに描いたドラマ。トム・ハンクスとスピルバーグが、
「バンド・オブ・ブラザース(ヨーロッパ戦線を舞台にしたTVシリーズ)」
に続いて製作総指揮をした作品である。そのためか、映画「プライベート
ライアン」とと「硫黄島からの手紙」に似たリアルな戦争映画となって
いる。

それまで多くのアメリカ映画にあった“アメリカ海兵隊万歳”だけでは
なく、捕虜にしている日本兵を撃ったり、罵声を浴びせたり、アメリカ
兵が悪人に思える描写も数多くある。

すでに第9話まで終わっていて、今度の日曜日が最終回。

出演している監督の友人は泉原豊氏。
泉原氏は19歳で国際俳優を志してシドニーへ行き、オーストラリアの
大学で俳優学科を卒業、その後もオーストラリアで活躍をつづける
日本人俳優である。

「ザ・パシフィック」が撮影されたのは、今から3年前のことで、当時、
役作りのために数ヶ月間、テレビやインターネットの生活を断ち切って、
戦時中の日本軍、帝国陸軍の訓練をしたそうです。

ちなみに泉原氏はオーストラリアで撮影されたSF映画「マトリックス」
で、キアヌ・リーブスの代役もしていたそうで、首から下のカットは全て
泉原氏の体だそうです。 それってすごいよね。


「ザ・パシフィック」
WOWOW (衛星 スカパーCS/ケーブルテレビ)
字幕版、毎週日曜 22時~
吹き替版、毎週月曜 23時~

きしょうねこ



「テレビジョン」「黎明」仮配信のお知らせ
日映作品をはじめ、数多くの科学・記録映像をインターネットで無料配信している科学映像館さんで、
「テレビジョン」と「黎明」、2本の作品が仮配信中です。

「テレビジョン」が制作されたのは昭和27年。まさにテレビ黎明期に作られた教育映画。
一方の「黎明」は、東京電力福島第一原子力発電所の建設記録のうち、調査編になります。

これまでの作品すべてに言えることですが、懐かしいこと、貴重なこと、驚かされることがいっぱいの
2作品、下記のリンクから、ぜひご覧ください。

科学映像館 理事長ブログ

NS

天の邪鬼?
中学生以来のソニー党だが、昨年買ったiPod touchは実に重宝している。

音楽はほとんど聴かないが、スカパー録画でたまりにたまった映画を見たり、
公衆無線LANサービスにも入っているので、結構色々なところで思い立ったときにインターネットで情報を集めたり、といった使い方をしている。

もちろん、あれこれとアプリも入れていて、ちょこちょこゲームもするし、本を電子化してiPodで読む、なんてのも結構頻度が高かったりする。


おおむね気に入っているiPod touchだが、ひとつだけリクエストがあった。
カメラを付けて欲しかったのだ。

別にこいつで「作品」を撮ろうっていうわけじゃない。
ここはこんな所だよ、ブツはこんな感じ、言葉で伝えづらいもの・ことを写真に撮って、メールで送る、
そんな使い方が出来れば言うことなし、と思っていたのだ。

それが新しいiPod touch(一部ではもう買えるらしい)では出来る!
カメラが付いたって?やったぜ!

盛り上がって早速買う気になったのもつかの間、このカメラ、撮れる写真はかなりプア、いやケータイ並みらしい。

自分が想定してた用途ではそれで十分、とも言えるのだが、
どうせ付くなら、iPhone4のカメラがちまたで結構評判なんだから、同等と言わないまでももう少しは…
なんて思ったりもする。

さて、どうするか?

NS



わがケータイ:ドコモ SO902wpで撮った東京ドーム。iPod touchもこんな感じなのか?







『廣重』  昭和30年10月作品
nihonbashi.jpg

この映画では、広重の東海道五十三次の中から十五ヶ所を、昭和30年現在の同じアングルから撮影し、
動画で紹介している。

何故、昭和30年に新三菱重工業が、この映画を企画したんだろう?  
我々の先輩片田計一氏がこの映画のパンフレットで解説しているが、この映画は、全国常設映画館で
上映された印象広告映画のさきがけである。
西洋の絵画に大きな影響を与えた浮世絵は日本の誇りである。
いったい何処に新三菱重工業の製品が?
それは、さりげなく映像にもナレーションにも登場するピジョンスクーターである。
人々が平和を愛しんで豊かさを追いかけていた時代背景がよくわかる。

広重の作品は、静止画であるにもかかわらず人々の動きを、そして、庶民生活を描写した。
この映画の昭和30年の映像もまた55年の年月を経て、その時代の雰囲気を余す所なく伝えている。



※テレビ放映のお知らせ
 今回ブログで紹介した「廣重」が、スカイパーフェクTVの衛星劇場で放映されます。
 放映スケジュールは、
 
 9月16日 午後7時45分
 9月18日 午後3時30分
 9月22日 午前8時30分

 となっております。
 スカパーで、またはケーブルTVで、是非ご覧ください
          
                                           mar

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9月12日、横浜狂言堂で大蔵流山本家を観る
いささか久しぶりの「横浜狂言堂」。
大蔵流山本家の舞台なので、自称ファンとしては行かないわけにはいかない。


紅葉坂でランチを済ませ、能楽堂へは開演の10分前に到着。
14時開演というのは、眠気との戦いになりがちなのが厄介だったりする。

はじめの演目は「止動方角」。
シテ(太郎冠者)は山本 則孝、アド(主)に山本泰太郎と若手2人が中心。

借りてきた馬を巡って、主従の関係が逆転するのが見どころ。
これって下克上?なんて思ったり。


休憩を挟んで、待ってましたのシテ・山本東次郎で「鈍太郎」。
この曲は以前、同じ横浜狂言堂で野村万作がシテを演じたものを見た記憶が。

今日の東次郎さん、実に軽やか。
鈍太郎、妻の他に女がいるし、誤解なんだが女たちに邪険にされて坊主になったり、
持ち上げられて元に戻ったりと、相当単純かつお調子モンなんだが、
東次郎さんの鈍太郎は実に愛すべき、憎めない男。
それでもわたしだったら、女たちの手車に乗るのは絶対に遠慮したいが。


山本家は自ら「つまらない」というほど、昔からの決まり事をそらさず変えず、忠実に演じるのが
モットーなのだが、東次郎さんほどの域に達すると、それで十二分、素晴らしい舞台になる。

小手先でない、幹の太さがいかに大切か、ものを言うか、ということなんだが、
そんな小難しいことは後から考えることで、目の前の至芸をただただ楽しんでいればいい。


ああ、いいもん見た…
そう思いながら、能楽堂を後に。
また次も行くしかないわ。


※横浜能楽堂HP
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/


NS
霞ヶ浦ロケ
台風一過の9日(木曜日)、ロケに行った。

今制作している作品のイメージ・シーンに使うもので、たわわに実った稲穂と開港前の江戸末期を思わす横浜の海の撮影である。

--まず、たわわに実った稲穂の撮影。

予算があれば新潟とか秋田とか行くんだろうけど、小作品だし、撮影した画像をセピア調(昔のイメージに画面を茶色に変色させる)にするため、そこまでする必要がない。簡単にちょこっと撮ればいいのだ。

ただ、広々とした田園風景がほしかったので茨城県の霞ヶ浦へ行くことにした。

ところが、

9月9日に行ったというのに、すでに稲刈りは終わっててダメ o~o(゚O゚)ガチョ~ン!

仕方なく、わずかながら残っている田圃を探してアップで撮影した。

って、ちょっと待ってよ。

稲刈りって9月末から10月だと思ってたけど、オレ間違ってた?

納得できないのでネットで調べたら、昭和40年代前半くらいまでは、田植えが6月後半、稲刈りは10月頃だったそうです。が、年を追う毎に、田植えが5月後半からゴールデンウイークに、稲刈りも9月から8月のお盆明けに行われるように変化してきたそうだ。それは、田植えは副業している人がGWの連休にできることや、稲刈りは台風シーズンになる前に刈っておこうという理由から早まったそうです。


--さて、江戸末期を思わす横浜の海だが、霞ヶ浦から車で20分ぐらいで行ける鹿島市の下津海水浴場に行ってきた。

ところが、前日、台風が列島を横断したから、その余波で海は大荒れ。
波しぶきザバ~ンで、とても横浜の海には見えない。(笑)

ってな、ロケでした。 チャンチャン

kasumi1
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』。ほとんどの田圃の稲刈りは終わっていた。わずかながら残っていた稲穂をあおり(下から)で撮影する。これなら周りが見えなくていいでしょ。光の反射をおさえるPLフィルターを使って撮影。

kasumi4
下津海水浴場は8月末で終わったため、今は広い砂浜と大きな駐車場だけが残っている。駐車場にはきれいなトイレもあって海を見たくなったらすぐ来られる絶好の場所だ。海を背景に駐車している愛車フォレスターの背中がまぶしいぜ。

kasumi3
波が砕けてザッバーン! 東映映画のタイトルか?!(←ひとりツッコミ)
どう見ても外海(そとうみ)にしか見えない。だって鹿島灘なんだもの。横浜の海のイメージではないか。トホホ 失敗でした。

きしょうねこ
「映蔵」再スタートです
わが日映科学映画がかつて制作した映像作品の紹介が中心だったブログ「映蔵」。
肝心の作品紹介が科学映像館に移ってから一時閉鎖していましたが、今日から新たなスタートを切ります。

今度の映蔵は、いい意味で何でもあり。
もちろん映像制作の裏話から、社のある横浜・関内の街情報まで、幅広く取り上げていきます。

どうぞお気軽に、お付き合いくださいね。

NS

日映のウインドウグラフィック~横浜公園から
日映のウインドウグラフィック~横浜公園から