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プロフィール |
Author:nichieikagaku
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映蔵 横浜で活動する記録・広報映像制作会社日映科学映画製作所の作品紹介や、社の周り・横浜情報の発信など。 |
気まぐれ史跡ウォーク(藤沢編2)。 |
前回に続き、藤沢の史跡めぐり~。
遊行寺のホントほど近くに、白旗神社、というお社がある。 白旗、といえば降参、ではなく、源氏のシンボル。 赤が平家、白が源氏、ということですね。
ということで?この白旗神社、源義経を祀っているそうだ。 日本史きっての悲劇のヒーロー、義経である。
 離れたところから神社を望むと、こんもりと小山になっている。
さてその義経、歴史好きとしては大いに興味をそそられる人物だ。
最近、BSプレミアムの再放送「英雄たちの選択」で義経が取り上げられていたのを見たが、新たな視点が紹介されたりして、なかなか刺激的だった。
 大鳥居。
いつだったか、奥州平泉に行った際には、義経最後の地・高館を訪ねたこともある。
自分を狙う鎌倉勢と戦う以前に、味方と頼んでいた藤原氏に囲まれ、無念の死を遂げた義経。 その往時にしばし思いを馳せたもんだ。
 新緑がまぶしい。けれど日差しもまぶしかった。
鵯越え、屋島に壇ノ浦。 義経が類まれなる戦術家だ、というのは定評になっている。
たしかに、一軍の指揮官としては図抜けた才能の持ち主だったんだろう。
けれど、どうももどかしくてしょうがないのは、コミュニケーション能力が不足している、と感じるから。 頼朝をはじめ、周囲の武将たちがどう感じているか、想像力も足りなかったと思う。
それは、分かってくれるはず、との思い込みがあったのか、こうと決めたら周りなどお構いなし、の性格だったからなのか? いずれにしろ、鞍馬の寺でその方面のトレーニングを積むことはなかったんだろう。
 本殿。
そのくせ、弁慶をはじめ、彼に命を預けるような者たちもあったのだから、人間的魅力も相当に持っていたんだろう。
頼朝にとって代わる気も、あったのかなかったのか、そのキャラクター、とにかく謎が多く、だからこそ興味が尽きない。
あ、だけど、美男だった、というのはどうも違うようですね。 今に伝わっている画を見ても「まあな」と思うけど。
 本殿のそばには「弁慶の力石」なんてのもある。
NS
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ハラケイ。 |
日本史、世界史を問わず、歴史には子供のころから興味津々なタチである。 旅行も何らか歴史がらみになることが多いし、読む本なども当然そうなる。
歴史上の人物で、あなたがもっとも興味をもっているのは? そう尋ねられたとしたら、どう答えますか?
わたしの場合、織田信長、源頼朝、ナポレオン、いろいろいるんだけど、このところ圧倒的に興味があるのは原敬。
戦前日本の政界において、統帥権を盾に超然たる存在だった軍やその代表者であった山県有朋でさえコントロールし得たその手腕は、傑出している。 いや、この時代にあって唯一無二の存在、と言っていいのではないか。
つまり、満州事変から太平洋戦争に至るこの国の歴史を、変えられたかもしれない人物。
そんな原敬もこれといった関係書がなかった(知らないだけ?)が、このたび「原敬 外交と政治の理想」 という本が講談社選書メチエから出た。
上下巻に分かれ、かなりのボリューム。 両方買うと5,000円に近い、と超ド級だが迷わず買った。
これから読むのが楽しみなんである。 それと、GWあたり、彼の郷里・岩手に、足跡をたずねに行こうかしらん。

NS
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Merry Christmas ! |

天皇誕生日の昨日、母の姉妹の集合写真を撮った。 神戸に住んでいる88歳の叔母が、久しぶりに上京したので、全員集合が叶った。 長姉は101、次姉が98歳、三番目の私の母が90歳、神戸の叔母が4女で88歳 全員の合計が377歳 金さん銀さんの強力なライバルだ。 その全員が自分の脚で歩ける。姉2人はもう付き添いなしでは出かけないが、あとの二人は、 自分一人で出かけられる。 そこにそれぞれの親族が加わって昨日は13名、、全員の年齢を足し算したら、 995歳になった。おそるべし、、、今から995年前は西暦1019年、、、? 平安時代?
 4人とも大正生まれ、戦前、戦中、戦後を生き抜いた美魔女たち。
クリスマスとお正月と、天皇誕生日を一ぺんに祝ったような1日でした。
mar.
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ラインは楽し~い |
スマホにかえて楽しんでいることがある。 子供達と友達?になって写真の交換をしているのだ。 ①は京都に住んでいる長女一家から送られてきた伊勢神宮界隈の落ち葉。 ②は私から送った山下公園近く県民ホール前の歩道の落葉銀杏。 ③は息子が送ってきた北大の銀杏並木の積雪。 ①11月30日 ②12月5日 ③12月15日
今日の横浜は寒い! わずか二週間の間に冬将軍がきたようだ。
息子からは言葉は殆ど語られないが、ひょこっと写真をくれる。 どうにか生きているらしいことが伝わってくる。
もうひとりの娘からはもっぱら5ヶ月になる孫の動画が来る。 私の周りにいる団塊の世代は、遠くに住む孫たちの近況をラインで見たいがためにスマホにする人が多い。
mar.
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おそるべし |
千葉県船橋でのロケに出かけていて、社内にひとり留守番な私。 身辺整理など、するべきことはいっぱいなはずなのに、電話とメールで午前中を終わろうとしている。
そこに、いつもお世話になっている科学映像館の久米川さんから電話が、、、 とても意欲的な精神の持ち主であられる久米川先生は、ソーシャルネットワーク(SNS)を駆使して、 科学映像館の周知に努力しておられる。
そのFACEBOOKでのお友達の数といったら半端ない。 私もご指南頂いたが、自分の存在を知って欲しいとあんまり思っていないのか、 どうしても積極的になれない。
ごめんなさい。 手持ちの人間関係で手いっぱいなのかも、社会性が足りないのかも?
やっぱり、久米川さんは凄い人です。 去年、受勲されたほど本業の業績がありながら、どんどん新しいことに挑戦するその熱意は 記録映像を残すという使命感からなのですね。
そんな中、電話で連絡があったIMAGICAから荷物が届いた。
タイトルは「ジャッキアップリグ」中国語版英語版もある。 ところが、社内の記録には一切出てこない、初めて目にする題名なのだ。
日映科学 藤田プロと缶の表面に記載がある。しかも肉筆だ。 制作年も、クライアントも解らない。
こんなふうに映像は未だ残っていて、制作会社に戻ってくるものもあります。 でもどんな価値があるのかまでは解らない。 私にできることは過去の膨大な資料を捲って手がかりを見つけることかも。
久米川さんは、周知のための発信を続けておねがいします。
mar.
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